阿部俊子先生は、2005年、衆議院の郵政解散に伴う第44回衆議院総選挙に自民党公認候補として岡山3区から出馬されるため、縁もゆかりもない津山市にやってこられました。
後援会長選びに苦労され、父のところに頼みに来られ、父が引き受けてからのお付き合いとなります。もう20年のお付き合いです。
阿部先生の年齢は、私よりひとつした、妹よりひとつうえであり、父にとって先生は娘のような存在であり、先生とお会いするときはいつもとびきりの笑顔で、とてもうれしそうでした。先生のお役に立てたのかどうかは分かりませんが、大きな気持ちで見守っていたように思っています。
その父も2022年10月11日に逝去いたしましたが、余命宣告をうけ、入退院を繰り返していた時、「弱気になったらいけん」「先のことを考えないといけん」「元気だしんちゃい」と毎日お電話をくださいました。
その電話に父がどれだけ勇気づけられたことでしょう。感謝しても感謝しきれません。
このたびの阿部先生の文部科学大臣就任の報道に接し、会う人ごとに父が生きていたらどれだけ喜んだだろうと言葉をいただきました。
この10月11日で、まる2年、三回忌です。
墓前に阿部先生の文部科学大臣就任の報告をさせていただき、父のとびきりの笑顔を思い出したいと思っています。
2024年10月
社会福祉法人 鶯園
理事長 小林 和彦