10月18日、新宿京王プラザホテルで開催された東京青年会議所新宿区委員会のOB会、けやきの会40周年を祝う会に参加しました。
ご縁は35年も前のことになります。
1989年(平成元年)10月から1990(平成2)年9月末まで東京におりました、30才の時です。
その年の1月に津山青年会議所に入会したばかりの私は、1年間の休会を申し出ましたが、津山市ご出身の小林元治先輩(前日弁連会長)が東京青年会議所の副理事長をされていたご縁で、新宿区委員会にオブザーバー参加をすることとなり、委員会のメンバーとして会議、活動にも参加させていただきました。
定例の委員会は、角筈地域センターで行われ、はじめて行った時、田舎者でしたから、「へーー、このあたりが時代小説にでてくる内藤新宿角筈村かーー」と辺りを見回し、建設中の都庁をはじめとする高層ビル群に圧倒されたことを覚えています。
新宿区委員会の1年で、印象に残っているひとつは、故三輪善兵衛先輩のお話を伺う機会を得たことです。当日どなたかわからず、側にいた先輩に「この方はどなたですか」と尋ねたとき、先輩は「日本に青年会議所をつくった方だよ」とひと言・・・
日本青年会議所の創設者のひとりであり、東京青年会議所の初代理事長・・・、まさにレジェンドです。
津山青年会議所に入会当初、事務局にあった20周年記念誌「明日への黎明」を読み、戦後の焼け野原から復興に向けて立ち上がる青年会議所のメンバーの姿に感動した者として、三輪先輩のお話を直接聞く機会を得たことは大きな財産になっています。
もうひとつは、小林元治先輩が東京青年会議所40代理事長に選出された場に立ち会えたことです。東京青年会議所には当時1600人のメンバーが在籍し、大きな会社の後継者もたくさんおられる中、津山高校から中央大学に進学され、弁護士となり、そして、東京青年会議所の理事長就任ですから、もし津山青年会議所で理事長をやらせていただくことができるなら私も40代になりたい・・・と憧れを抱きました。
どんな時代だったと思いますか?
今年の2月22日に日経平均株価は1989年12月29日につけた史上最高値を更新しましたが、35年間超えられなかったあのバブル期です。
現在の東京都庁は、丹下健三氏によって設計され1990(平成2)年12月に庁舎が竣工さし、その翌年、1991年(平成3年)4月に有楽町北側から移転し開庁したのですが、竣工間近、再開発に沸く新宿でした。
バブル期というと必ずテレビで映像が流れるジュリアナ東京は、1991年(平成3年)5月15日、私が東京から帰った後のオープンですから、行ったことはありません。
その時のメンバーの方々とは、いまだに良いおつきあいをさせていただいています。
翌1991年(平成3年)に東京青年会議所が主幹で日本青年会議所設立40周年の全国大会を控え、メンバーは準備に追われ、バブルとあいまって高揚感に包まれていた時期だったので、お互いに印象が深かったのでしょう。
35年も経つのに、こうして繋がっている、「縁」って大事ですよね。
切ってしまうのも、繋ぐのも自分次第です。
2024年11月
社会福祉法人 鶯園
理事長 小林 和彦