令和6年1月1日に発生した「能登半島地震」で犠牲になられた方々にお悔やみを申し上げますとともに被災され、今なお厳しい避難生活を送られている皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私たちにとりましては、阪神淡路大震災の被害と惨状が重なり、胸の詰まる思いです。
その阪神淡路大震災から本日1月17日で29年です。もう29年たったなのか、まだ29年なのかはそれぞれに思いは違うと思います。
阪神淡路大震災の前日、平成5年1月16日は夕方から神戸市で先輩や友人たちと勉強会がありました。終了後、0:00過ぎに津山の自宅に帰って就寝。17日の早朝に、地震で目を覚まし、テレビで前日自分がいた、三宮の街の惨状を目の当たりにして、ぼうぜんとなりました。
前日に一緒だった故神戸福生会理事長中辻直行氏(以下、中辻さん)に何度連絡をしてもつながらず、テレビでは中辻さんの運営する、ながたケアホーム南側の長田区の街が黒煙を上げて燃え広がっている映像が映し出され、大変心配しました。連絡がついたのは、18日のお昼、ポケベルへのコールバックでした。
紙おしめが欲しいとのことで、施設にあるものをリフト付きワゴンに積めるだけ積み込み、中国縦貫道の津山インターチェンジへ。
15:00頃、中国縦貫道は通行止めになっていましたが、入り口で「神戸に支援物資を届ける」と言うと、あまりにもあっさり通してくれましたが、「どこまで行けるかは分からないので、途中で警察の指示に従うように」とのこと。吉川インターチェンジで下ろされて、箕谷から育英高校までは通常の日常のまま、テレビとのギャップに驚き、少しほっとした覚えがあります。しかし、山を登り切った時に初めて、まだ火の手が上がっている長田の街が見え、震災を実感。ながたケアホームまでも、道路には段差ができ、建物の倒壊で通行止め、回避した先も倒壊した建物で通行止め、どこをどうやって進んだのかもう覚えていませんが、19:00頃にやっとたどり着きました。
中辻さんと話をしている間にも、職員が「西宮から歩いて来た」とたどり着いたり、キリンビールの大型トラックがビール瓶に水をいれたものを配送してきたり・・・、外の街はまだ燃えていたり・・・、そんな状況でした。
その後も九州の社会福祉法人有志による支援チームのバス送迎や支援活動で、何度も長田の施設には応援に行きました。この支援チームが社会福祉法人による大規模災害への支援の最初です。
阪神淡路大震災の経験は、その後の私の人生に大きな影響を与えています。
それは中辻さんがあの時体現された生きざまをそばで見ていたことが大きいです。
阪神淡路大震災と社会福祉法人による支援活動については、語り尽くせませんが、私の先輩であり、大切な友人であった故神戸福生会理事長中辻直行氏が、遺作となった「いま、福祉の原点を問う」(2013年11月1日発行・筒井書房)の中で、その苦闘の日々を書き残しておられます。
神戸福生会のホームページに、電子書籍版とPDF版で掲載してありますから、ご関心のある方はぜひお読みいただけたらと思います。
書籍のご紹介|社会福祉法人神戸福生会|福祉・介護サービス|兵庫県神戸市 (kobe-fukuseikai.com)
2024年1月
社会福祉法人 鶯園
理事長 小林 和彦